ニックの希望

「ニックじゃないか」
ある昼下がりのことだった。
じんわりと汗がにじんで出てくるような日、
ジュディとニックはサバンナセントラルのパトロールの合間に少しばかり遅い昼食をとろうと店を探している所だった。
その声に先に気付いたのはジュディで、無意識にブレーキに足をかけ車を停止させた。
「どうかしたか?にんじん」
レストランなんてあったか?とニックが首をかしぐと、彼女は歩道側後方に耳を傾けた。
「今ニックを呼ぶ声が聞こえた気が……」
その言葉にニックは耳を後方に伏せる。
「ニコラスなんてありふれた名前さ、勘違いだと思うぜ」
そう彼は言うが、次の瞬間大きな蹄が車の窓に現れどんどんと窓ガラスを叩いた。
ジュディが慌てて手元を操作し歩道側の窓を開けると、見知らぬシマウマの鼻先がにゅっと現れる。
「ニック、ニックじゃないか!
 警察学校に行ったって聞いていたんだけど、本当だったんだな!」
顔も大きいが声も大きい。
しかしどうやらニックの知人のようだ。
彼にシマウマの友達がいたなんてと思いながらジュディがその顔を見ると、ニックの表情は強張っていた。

「いやぁ、もう20年くらいになるんじゃないか。
  ニックがお巡りさんになるなんて思わなかったよ」
セブと名乗ったシマウマに昼食がまだだと話すとそれならばとセブがたまに来るのだという定食屋に三匹はいつのまにか相席していた。
楽し気に笑いながら話すセブに、先ほどの表情を見せることはなくニックもニコニコと応える。
「俺もこんなところでセブと会えるなんて夢にも思わなかったよ」
注文していた三匹分の食事が並べられ、まずセブが美味しそうにキャロット・ラペを頬張り始め、ジュディもおずおずと食事に手を伸ばした。
値段は並だが味が良く、普段レトルト食品に頼りがちな彼女からすると馳走だ。
けれどニックは料理には手を出さずセルフサービスの水道水をチビチビと飲んでいる。
「ははは、たしかにな。
 ニックは全然地元に帰ってこないし。
 今日おれは仕事の都合でこっちまで出てきたんだよ。
 そこでニックだけじゃなくあのジュディ・ホップスにも会えたんだからラッキーだよなぁ」
「そうだな」
ニックは短く答えるとコップに半分まで残っていた水を飲みほした。
「ズートピアにはあんまりいられないんだろ?
 時間は平気なのか?」
「ご心配なく、実はあらかた用事は済んでいるんだ。
今日はもう帰ってゆっくりするだけさ。
 そんなことより我らが草食動物の希望ジュディ・ホップスを紹介してくれよ」
それまで会話に入らず観察に徹していたジュディは話題を振られ、思わずニックの顔を見た。
顔はそれまでと同じようにニコニコしているように見えた。
けれど、その目は。

「ごめんなさい、私たちはまだ業務中だからそろそろおいとまします」

ジュディがそう答えると、ニックの驚いたように彼女を見つめ返す。
「そんな、二人ともまだ食事が残っているじゃないか」
セブはそう言ったが、ジュディは首を横に振る。
「本当にごめんなさい、今日は署で大事なミーティングがあることを忘れてたの。
 だからもう出ないと」
「じゃあ、せめてここの代金はおれに払わせてくれないか」
セブがそう言いすがるが、これにもジュディは頷かなかった。
「いいえ、これでも私たち公務員なの。
 おごっていただく訳にはいかないわ。行きましょ、ニック」
弾かれたようにニックが立ち上がる。
ジュディは彼の手をとると二匹分の代金を置いて、そそくさと店を出て行った。
あとには、セブとほとんど手の付けられていない三匹分の食事。
「……もっと、ニックと昔話したかったんだけどな」
セブは気分を害したようにそうつぶやくと、食事をひとり再開した。

「どうしたの、ニック」
車に戻るとジュディはゆっくりと署とは逆方向に車を走らせた。
ニックが助手席に座り込むと力が抜け小さくなったように、彼女には見えた。
「……にんじんには、前に一度話しただろ?
 ジュニア・スカウトにいたうちの一匹さ」
彼女ははっとした。
まだジュディとニックが”夜の遠吠え事件”を追っていた時の話だ。
ニックが彼女に最初にくれた秘密、一つの夢が、潰された話。
「まぁ、あいつはただのボスの取り巻きだけどな。
 ……今日会ってあの時のことは何も言ってなかったから、あれはその程度のことだったんだろう」
ニックはそう言うが、ジュディには痛いほどわかっていた。
今だってニックの耳は後ろに倒れている。
当時の恐怖と悲しみをまだ彼は忘れられていないのだ。
だからニックは、自分を呼ぶ声を無視しようとしたし積極的に自分から話そうとはしなかった。
「……ギデオン・グレイと大違いだわ。
 彼はちゃんと謝ってくれたもの」
「?
 にんじん、誰だ。それ」
知らない固有名詞が出てきたせいだろう、ニックが不思議そうな表情をする。
「卑怯者じゃない相棒を持ってよかったって、こと」
ジュディがニヤリと笑うと、ある店の前で車のブレーキを踏み込んだ。
「食事に甘いものっていうのは良くないかもしれないけれど
 ここのドーナツ美味しいんだってクロウハウザーに教えてもらったの。
 最初からここにすればよかったわね」
ジュディがひょいと降りる。
「私が適当に買ってくるからニックは車を見ててね、お願いよ」
そう言うが早いかジュディが店の中へと消えていく。
しばらくしたら、食べきれないほどのドーナツを持って戻ってくるに違いない。
それを想像するとニックの沈み切って心は少しばかり浮上した。
そして、先ほどのセブの会話を思い返す。
我ながら対応がひどいと思うし、ジュディが心配するのも無理はない。
しかし、せめてセブのあの言葉を訂正してやればよかった。
――草食動物の希望ジュディ・ホップスを紹介してくれよ。
「……ジュディは、お前の希望じゃない。
 俺の、希望だ」
独りそう呟いてはみたが恥ずかしかったので、やはり言わなくて正解だったのかもしれないと
ニックは予想通り山ほどドーナツを抱えてきた相棒を見ながら思った。


落ちのないお話(笑)
あの草食動物たちは改心してなさそうだな、って思ってそれだけで書きました。
ピクシブにて先行公開しておりましたが、ニクジュディとして認識していただけていたようで有難い(笑)
先日、ズートピア世界での主食は昆虫らしいと聞きハクナマタタが脳内で流れまくっております。

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