2000HIT記念


ジルがタオルを持って行くと、男はまだ浴室にいるようだった。
それに溜息を吐きそうになって、慌ててタオルで口元を押さえる。
ハールが久し振りに帰ってきてからジルは目に見えてそわそわしていた。
先程もそれを使用人に指摘され、逃げて来たところである。
――せっかく帰って来たのだから、一緒にいたいではないか。
そうジルは思うのだが、あまりに子供っぽいような気がして未だに何も言えていない。
ハールに寂しかったかと問われた際も、恥ずかしくて否定してしまった。
本当は指折り数えて待っていたと言うのに。
今度は抑えきれずに大きな溜息を吐いた。
それにしても、とジルは思う。
あれから疲れているだろうからと浴室に押し込んだのだが、もうずいぶん入っているような気がする。
まさか湯船で寝てしまったのではないか。
ありうる。
そう考え始めると居ても経ってもいられない。
「ハールさん、起きてますか?」
少々慌てたような声に、自分で自分にビックリしてしまう。
タオルを着替えの脇に置きながら、戸の向こうの水音にジルが耳をすますと向こう側から楽しそうな声が聞こえてきた。
「なんだ、一緒に入りに来たのか?」
「ち、ちがいます!あなたがお風呂で寝てないか見に来たんです!!」
鏡を、顔を見なくてもわかる。
夫婦となってからでもこの手のからかいには、顔が赤くなる。
そして、からかった本人はさぞや楽しそうに笑っているだろうと思うと少し、悔しい。
「寝ちゃわないうちに出てきて下さいね!」
そう言って出て行こうとしたジルに扉越し、声がかけられた。
「風呂出たら髭剃ってくれ」

「ひげ剃るのずっとサボったでしょう」
「飛びっぱなしだったからな」
「というか、なんでいきなり剃ってくれって」
「・・・良いだろ、別に」
ハールがソファに寝ながら答えた。
視線は明後日の方角を向いている。
「まぁ、良いですけど」
なんとなく納得できないが、こういうこともたまにはいいのではないだろうか。
いつもは見下ろされているのに今日は逆に見上げられる位置に顔があるのが新鮮に感じられる。
ソファの横に椅子を持ってきてそれに腰掛けるとシェービングブラシを手に取り、彼の顔を覗き込んだ。
妙に顔が近いような気がして、少しだけ照れてしまいほんの少し目を伏せる。
「それにしても、もう少し気をつけようとか思わないんですか。
伸びっぱなしじゃないですか」
言いながら顔に触れると、髭のチュクチュクした感触がくすぐったい。
そういえばあまりこうして触ったことはなかった。
そう思うと少し恥ずかしい。
「どうした」
「な、なんでもないです!」
頭を振って否定する彼女を見て男は小さく笑う。
「ちょっ、笑わないで下さいよ。
あと、ひげ剃りって朝やらないでいいんですか?」
「そんなに濃くねぇから大丈夫だろ。
風呂出てからの方が蒸らす必要がない分ラクだしな」
「そうなんですか・・・?
それなら良いんですけど」
言いながらジルはブラシでシェービングクリームをハールの顔に円を描くように塗り付ける。
髭も剃ったのことのない身からすればブラシはくすぐったそうに見えるのだが、どうやら気持ちが良いらしく
気付くとハールは目を瞑っていて、彼女は少しうろたえた。
「は、ハールさん!
寝てませんよね・・・?」
「ああ」
かろうじて返事はあったが、その声は若干眠そうだ。
このまま寝るつもりなのだろうかと、ジルはいささか不安になった。
「本当に寝ないで下さいよ!
わからないんですから!」
チラリ、と剃刀に視線を向ける。
手がすべってしまっら、など考えたくもない。
寝ていても起きていてもなる時はなるであろうが、これは心の問題である。
「・・・ぁあ」
気の抜ける返事にジルは再度溜め息を吐く。
それからクリームが塗り終わり、震える手で剃刀に手をかける。
「怖ぇなぁ」
「わ、私だって怖いですよ!
そんなこと言うならご自分でやって下さい!」
一呼吸で全部叫んでから、ジルは改めて剃刀に手をかけた。
今度は震えていない。
「力入れすぎないようにして、上から下に剃れよ」
「はい」
怖々と頬から顎の方へと刃を滑らせる。
ジョリジョリとひげの切れる感覚が伝わってくる。
「これでいいんですか?」
「ん」
男の返答に安堵したのか、ジルはそれからは髭を剃ることに集中したようだった。
その集中力は大したもので、髭を丁寧に残さず剃っていく。
もう少しでも頭を動かせば鼻の頭と頭がぶつかりそうだ。
もしもこの状況に彼女が気付いたならば、その心は恥ずかしさのあまり擦り切れてしまうだろう。
彼女を見上げている男の口元に笑みが浮ぶ。
「ちょ、危ないですよ。動かないで下さい。
・・・怪我しても知りませんから」
自分がどれだけ緊張しながらやってるのかわからないのだろうか。
ジルは改めて、剃刀の刃をハールの顔にあてた。

大方剃り終わってからなんでハールは自分に髭を剃らせようとしたのだろうか、ジルはふと、手を止めて首をひねった。
「どうした」
急に手元が留守になったのを不審に思ったのか男が口を開く。
いつもよりも長引いた今回の仕事。
もしかしたら、その間寂しかったと言う自分の意を汲んだのだろうか。
だとしたら、少し、嬉しいかもしれない。
「なんでもありません。
・・・・・・終わりましたよ」
なんだか少し嬉しそうに笑うジルに、彼は軽く笑い返しながら体を起こし自らの顔に触れる。
顔に手を這わせれば、彼女がどれだけ慎重に慎重を重ね仕事を進めたかわかろうというものある。
「お、きれいに剃れたな」
「あと顔を洗って道具しまって下さいね」
「おー」
立ち上がり道具をまとめて、洗面所に向かうため扉に足を向ける。
一方ジルは、緊張が解けてほっとしたようで先程まで男が横たわっていたソファにくたと体を預けていた。
しかし、その顔は一仕事終えどこか満足気である。
妙に長い時間互いの顔が近くにあったせいでだいぶ緊張もしていたらしい。
訓練など体を動かすことよりも疲れたかもしれない。
「でも、お前上手いな。今度またやってくれよ」
扉を開けながら男が口を開く。
「また上手にできるかわかりませんよ。
さっきのも怖かったでしょう?
危なっかしくて」
軽く笑いながらジルはそう言ったが、男は振り返ってもう一度、口を開いた。
「やってくれ、また」
ジルも扉を振り返り、視線がかち合う。
「・・・じゃあ、また」
「ああ、頼む」
さっきは、こちらの気持ちを汲んでくれたのかと思ったけれど。
扉が音を立てて閉まり、男の気配が部屋から離れていく。
「・・・・・・剃って、欲しかったのか」
それがなんだか嬉しくて、ジルはソファの上で表情を緩ませた。


長崎さん、リクエストどうも有難うございました。お待たせしてごめんなさい。
書いてから気付きましたが、明りの問題とか全く考えてませんでした。
多分まだ明るい時間だったのでしょう・・・

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